わが家のコト

誕生日&結婚20周年

もう誕生日はうれしくもないけど、結婚20周年はおめでたいかな。振り返れば山もなければ谷もなく、平々凡々の20年だったかも。なんならこのコロナの時期が谷ってくらい平和に過ごしてこれてなにより。

子供の頃、「家内安全」というのをみて、1つしか願い事できないから、もっと違うの願えばいいのにもったいないなんて思っていたけど、これが一番なのねなんて大人になったどころじゃなく、歳取ったなって感じかも。

結婚式で、席次表と一緒に印刷したプロフィールに将来の夢「ディズニーランドのそばに住むこと」って書いていて、その後なんか幼稚なこと書いてたなーなんて思ってた。生活拠点を移すことは難しいし。

でもその後東京や大阪の単身赴任があり、子供だって県外に進学や就職するかもしれないし、無理じゃないわって思うように。4月と10月だけでも舞浜に住んで毎日お散歩に行きたいな。そして真冬はクラブメッド石垣島に1か月くらい滞在したい。そんな老後の具体的な夢を考えるようになった今日この頃。そのためには健康でいないとねなんて。

結婚20周年といえば、親の20周年は忘れもしない日に。ただそれが何月何日だったか、今となっては忘れてしまったけど。

親の結婚20周年の頃、我が家はどん底状態で。父親の母親、私にとっては祖母にあたる人の自宅介護でもう大変。今みたいに介護保険もなく、デイサービスもなく、入院してもすぐに出されるみたいな状態で。「嫁はかわいくない、孫はかわいくない、嫁の世話にはならん」というのが口癖みたいな変わった人で、小学生くらいの頃は、この人は私にとってどういう関係の人なんだろう?ってよくわからなかったくらいの存在。おばあちゃんなんて呼んだこともなし。

プライドが高く、自分が介護されるということが許せず、ましてや嫁の世話になるなんてってことで暴言はいて暴れるし壮絶。最後まで感謝の言葉ひとつなく。私にとっておじ・おばにあたる小姑たちもうるさい。母親が祖母のお金使いこんでいるんじゃないかとか、ちょっと病院の付き添いしただけで時給払えとか。当時高校生くらいの私でも「何言っているの」って思うのに、それに対して何も言えない父親にも腹が立つし、もうこんな人達捨てて、出ていこうって母親に何度言ったことか。離婚すればいいのにって本気で思っていた。私が母親の立場だったら、介護○○みたいな事件になっていたかもって今でも思う。

そんなときよく聞いていたらCBCのラジオ「冨田和音株式会社」という番組で、記念日にお花を送ってくれるっていうコーナーがあって、親の結婚記念日で投稿したら採用してもらえた。お花が届いた日の夜の放送だったので、カセットテープに録音。介護で大変だけど、20周年おめでとうっていうメッセージを読んでもらった。親がすごく喜んでくれた覚えが。

母親は、祖母の入院中に同室になった家族と仲良くなっていて、今でもつきあっていたりするけど、その人にあとから「お母さん病院にテープ持ってきて聞かせてくれて泣いてたよ」って教えてもらった。

もうあと数年(何年かはっきりわからないわ)で結婚50周年を迎える二人。昔からだけど母親の方が立場は上で、モラハラ気味でもあるけど、父親にはあの時見捨てられなくてよかったねって思う。見返したら去年も親の20周年のこと書いてたわ。その日のダイアリー

そんなわけで結婚20周年といえばその思い出がすごく残っていて、私もそうなるのかなんて漠然と思っていたけど全然違ったわ。

そして私もお花もらった。このまま普通の毎日が過ごせますように。

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